人生はごまだんご

Life is gomadango.

だいたい調子悪い時は「寒暖差」「低気圧」「ホルモン」のせい

 

急に寒くなった。

我が家ではいつも「MARIBU」とプリントされたクソダサタンクトップ一枚で過ごしている夫が、鼠色のクソダサスウェットを着るようになったら、それが冬の合図だ。

 

どうもここ数日身体の調子が良くない。否、そもそも私は身体の調子が良かった事がない。

小さい頃からとにかく体力がなく、活力もない、「疲れた。」が口癖の、無気力な色白の美少女だったのだ。

今ではすっかり青白い無気力な微淑女になり、相変わらず家に篭ってばかりいる。

 

特に少女だった頃は、何故こうも自分は体力がないんだろうか…とよく自分を責めたものである。学生時代は週に数回の体育の授業のせいで浴びるように劣等感を感じ、今でこそよく耳にするようになった「自己肯定感」なるものはほぼ皆無。

ゲンキハツラツ・イキヨウヨウという言葉とは無縁な人生だった。

 

しかし淑女になり早数年。体育の授業はもちろんないし、自分の体とじっくり向き合う時間ができて心身の調子が悪い時のおおよそ原因がわかってきたのだ。

それが「寒暖差」「低気圧」」そして「ホルモン」である。

 

原因は解明したものの、悲しいことにこの3つ全てがどれも自分の力ではどうすることもできない要素であり、ただただ時間が過ぎるのを待つしかないのが辛いところである。

 

3つ目の「ホルモン」に関しては、自分の体内で執り行われているはずのシステムにも関わらず、自分では一切管理・制御できないというのが、もうこれは完全に人体設計のミスとしか考えられない。

 

それに加えてここ数日の「寒暖差」「低気圧」が加わろうものなら、

前述したように夫がクソダサコーデをキメているだけで、、

 

「なんでいつも同じような鼠色の服ばかり買うの?」「すね毛が飛び散るからズボン履いてよ」「MARIBUってなんだよ!!!!!!」「頭皮が臭いんだけど!?!?!?!?」

 

と、罵詈雑言の嵐。

ホルモンという突風が掻き立てる感情というビッグウェーブを止める事ができないのである。

 

夫は何も悪くない。もちろん、私も悪くない。

悪いのは、「寒暖差」「低気圧」「ホルモン」そして「MARIBU」のせいなのだ。

 

振り返れば育児はスリル・ショック・サスペンスな件について

最近子どもたちと過ごす中でよく感じることがある。それは「あまり手がかからなくなったなあ」ということだ。

4才になってもおっぱいを欲しがり、生まれたばかりの次男から乳を奪い取っていた長男はもう6才。長男に気づかれないよう次男に授乳をする日々はそれはもうスリルに溢れていた。あれだけ乳に執着していた彼は今となっては牛乳やヨーグルト、マックシェイクを好んで飲むようになり(乳製品ばかりだな)、1キロ近く離れた小学校まで自分の足で歩いて通うようになった。感慨深いものがある。

次男といえば、今年3才になり幼稚園に入園したばかりだ。入園後、初めて彼を園バスに乗せ見送った後、私は臨月間近の妊婦だったにも関わらず「ヒャッホー!」と拳を掲げてジャンプをし小躍りをした。あの時の開放感は一生忘れることがないだろう。

何故私がここまで狂喜乱舞したかというと、次男は乳児期からとにかく手がかかる子だった。食物アレルギーが多く、離乳食の時期は何か新しい食べ物に挑戦する度にまたアレルギー症状が出るのではないかとハラハラしていた。その癖なぜか本来主食であるはずのおかゆも拒否。乳児期が終わったかと思ったら激しい夜泣きにイヤイヤ期。夫が育児に協力的とは言え、慣れない土地で日中2人きりで過ごすのが本当に大変だったのだ。

それぞれまだ手がかかる部分はもちろんあるが、やはり日中少しでも離れる時間ができたことによって、精神的にもかなり余裕が生まれた。

あんなにあんなに大変だったのに、最後長男に授乳した日も、次男にオムツをはかせた日も覚えていない。覚えていない、というか大変すぎて記憶喪失になったと言ったほうが正しいかもしれない。よくドラマ等で見る事故のショックで前後の記憶がない場面に近しいものを感じる。子育てとは毎日ショックの連続なのである。

今では長男から立派な育児アドバイスまでいただけるようになった。今のところナマイキ!と感じたことはないが、心に刻み、もしこれから感じることがあればこの言葉を思い出したいと思う。

こんなにつらつらと育児について語り、さももう育児が終盤のような書き方であるが、1番上の長男ですらまだ6才、しかも我が家には今年に新メンバーである三男が誕生したばかりだ。まだまだ沢山今までに経験した以上のドラマが待ち受けているだろう。これ以上のサスペンスがあるだろうか。

正直三男の誕生で育児の大変さについては振り出しに戻った感が否めないが、新メンバーである彼がどんなスリル・ショック・サスペンスを経験させてくれるのか、私は楽しみでならない。

なぜ夫がいつもスマホを触っているのか考察した

我が家の夫は、食事中に必ずと言っていいほどスマホを触る。

私が「ご飯ですよー。」と声をかけると、6才と3才がそれぞれ感嘆の声をあげながら、それまで遊んでいたタブレットやswitchを置いて食卓まで走ってくるにも関わらず、39才のオジサンはスマホを握りしめたままのそのそとやってくるのだ。

職業柄、緊急の電話がかかってくる事もあることは重々承知している。スマホを肌身離さず持っておくだけなら構わない。

だがしかし、食卓の上にスマホを置き、私が一生懸命作ったごはんやおかずを口に運んだらスマホを眺め、またごはんやおかずを口に運び、またスマホを眺める。作った人に対する冒涜である。つまり、一生愛すると誓った妻に対する冒涜なのである。これは許せない。土井善晴先生もカンカンである。`

そもそも夫は、食事を作る仕事していた時期が長い。調理の大変さはよく理解しているはずなのに、この仕打ち。人は時間が経つと忘れてしまうのだろうか。それとも想像力が欠如しているのであろうか。

食事中だけではない。トイレのときも、寝かしつけの時も、何なら寝ている時もスマホを握りしめているのだ。

一体全体、一日中そんなにスマホを握りしめて真剣な表情で何を見ているのだろうか。何が彼をそこまで執着させるのだろうか。ゲームか。女か。横目でちらりと覗いてみたら、画面に写っていたのは

天気予報。

は??????ててててててて天気予報????????

私は激しく動揺した。私が作ったごはんより、子どもたちとの談笑より、天気予報が大事なのか。それとも夫はソラジローなのか。結婚して数年、夫の体型はどんどんソラジローに近づいているが、まさか精神までソラジローに侵されているとは思いもしなかったからだ。

食事中に携帯を見るソラジロ夫

きっとそのときはたまたま気になって天気を見ていたに違いない。また別のタイミングで確認することにした。

その日就寝時、夫はいつもの如くスマホを握りしめながら寝ていた。すやすやと眠る顔面がブルーライトに照らされている。大変不気味である。

さっきはたまたま明日の天気を確認していただろう。あれだけ毎日スマホを握りしめているのだ。SNSやゲーム等何かしらに依存しているのではだろうか。よくない想像がよぎる。

意を決して、夫のスマホの画面を覗くと、

天気予報。

なんなんだ。天気予報の何がそこまで夫を虜にさせるのだろうか。私にはない魅力があるのだろうか。

それから数日、夫がスマホにご執心の時はちらちらスマホを確認して何を見ていたのかメモすることにした。データにしてまとめてみたので、ご確認いただきたい。

夫がいつも見ているサイトをまとめた円グラフ

TwitterInstagramなどのSNSが8%、スマホゲームが12%、なろう系小説30%、残りは全て天気予報という結果だった。つまり、家にいる間中スマホを触っている時間の半分は天気予報が占めているのである。

ここで1つ、仮説を立てたい。果たして夫は天気が気になって天気予報を見ているのだろうか。本当は別に天気が気になっているわけではないのではないだろうか。

一般的に考えて、天気予報というものはその日の朝や特定の日の天気が気になる場合その都度確認するはずである。しかし夫はスマホを握りしめている時間の半分は天気予報を見ている。

これはつまり、別に彼は天気の確認をしたいわけではなく、スマホを触る事自体が癖になっているが、SNSスマホゲームはそこまで気になるタイプではないので、手持ち無沙汰になっていて何となく手癖で天気予報を開いているのではないか。

これが真相だとすると、つまり、スマホは、、、大変申し上げにくいが、夫にとって赤ちゃんのおしゃぶりと一緒なのではないだろうか。おしゃぶりを落としたり、取り上げられた赤ちゃんを見たことがあるだろうか。おおよその赤ちゃんが泣いておしゃぶりの返還を訴えるだろう。

今まで食事中にスマホを触らないでと伝えるたびに不機嫌になる夫を不思議に思っていたが、この説なら辻褄があう。彼はその時まさしく、おしゃぶりを取り上げられた赤ちゃんだったのだ。

全ての現象には必ず理由がある。実に面白い。デデデデデデ・・・(あの快活なBGM)の快感を身をもって体験してしまった。気分はガリレオである。こんな貴重な体験をさせてくれた夫には感謝したい。

しかし、うちには冒頭でお伝えした通り6才と3才と、何なら先月離乳食を始めたばかりの正真正銘本物の赤ちゃんがいるのだ。これからはスマホはほどほどにせめて食事中くらいは家族との談笑を楽しんでほしいものである。